地域包括ケア最前線

住民主体で動き出した ケアのまちづくり「幸手モデル」

  • No.32017年5月24日発行

「地域完結型医療」を目指して

2001年に医師になり、診療を始めた中野さんは、糖尿病医が地域に圧倒的に少ないことを痛感した。患者の中には自宅生活で改善できる軽症者がいるかと思えば、「なぜ、こんなになるまで放置していたのか」と頭を抱えるような患者もいる。病院と診療所で重症度に応じて患者を振り分けるとともに、一度も検診を受けないまま重症化し、透析を受けるようになってしまうような人たちを早く見つけ、予防や治療につなげるシステムをつくることはできないか。そう考えて、市と一緒に事業を立ち上げようとしたが、担当者は数年で部署が変わり、部署や施設が違うと一緒に活動することもない。制度の壁に限界を感じた中野さんは、それに代わる「システム」を考え始めた。

「菜のはな」ポーズの中野智紀さん

2008年、地域糖尿病センターのセンター長として東埼玉総合病院に移った中野さんは、地域をひとつの医療機関とする「地域完結型医療」を目指し、病院とともに取り組み始めた。  同じころ、「師匠」と仰ぐ平山愛山氏に推薦され、内閣官房IT戦略本部の「医療情報化に関するタスクフォース」に参加した。ここで中野さんは電子版「糖尿病連携手帳」の開発を手がけた。さらに厚労省の地域医療再生事業に関わった。これらの経験が、クラウドを利用した地域医療連携ICTネットワークシステム「とねっと」や、「幸手モデル」のシステムづくりにつながっている。地域の医療機関が患者情報を共有し、その情報を患者自身もカードで共有できる「とねっと」は、現在会員3万人。救急搬送で救命につながったケースは1000件を超えるという。

「元気スタンド・ぷリズム」を経営する小泉圭司さんは、住民サイド屈指のアイディアマン。コミュニティデザイナーとして活躍する

「住民が主役」の ケアのまちづくりへ

地域の医療情報は「とねっと」で統合し連携したが、肝心の地域住民の顔が見えてこない。どうしたら、地域に出ることができるのか。思い悩んでいたとき、タイには人口500人につき1人のコミュニティナースがいて、住民の健診受診率が100%近いと友人から聞いた。理由はナースが出向き、採血した人数に応じて、ナースに報酬が支払われるからだ。

ハタと膝を打った中野さんが思い出したのは、訪問看護師の秋山正子さんが2010年に新宿の戸山団地で始めた「暮らしの保健室」だった。これを基盤にプライマリケア・ユニットをつくろうと、さっそく秋山さんを訪ね、「保健室」をのれん分けしてもらった。そして、病院の移転とともに「幸手モデル」は、その一歩を踏み出した。

地域を回るコミュニティナースと、地域の人に伴走するコミュニティデザイナーがソーシャルワーカーとして協働することで、「自ら健康を考える」住民が増えてくる。その活動を医師会、病院、行政が後方支援するという、ケアのまちづくりの仕組みが、ようやく幸手でできあがった。

中野さんが追求するのは「人と人が向き合える社会」だ。視線はいま、それを「文化」にすることに向いている。

 

取材協力/
社会医療法人
ジャパンメディカルアライアンス
東埼玉総合病院
埼玉県幸手市吉野517-5
TEL 0480-40-1311

中野 智紀氏

なかのともき

1976年埼玉県越谷市に生まれる。2001年、獨協医科大学卒業後、獨協医大越谷病院に勤務。2008年から社会医療法人ジャパンメディカルアライアンス東埼玉総合病院で地域糖尿病センター長。地域医療ネットワークシステム「とねっと」を2012年に正式運営開始。同年、在宅医療連携拠点「菜のはな」を開設し室長に。以来、地域包括ケアシステム「幸手モデル」を全国に発信中。