東京・新宿で、高齢者の食支援に取り組む専門家集団「新宿食支援研究会」を2009年に設立。街ぐるみで「最期まで食べられる」を目指している。
取材・文/富田 チヤコ 写真/吉住 佳都子
ある時は歯科医、ある時は ラジオのパーソナリティ
「口は命の源、粗末にしている人はいませんか。この番組はお口の健康を通し、生きること、食べることを考えています。お相手は、自転車で訪問診療をする歯医者、五島朋幸です」
穏やかで誠実な語り口がラジオから流れてくると、思わず手を止めてそっと自然に耳を傾けたくなる。ラジオのパーソナリティとしての五島さんは、わずか10分間という短い放送時間の中で、訪問歯科医の日常を冗談混じりに伝えながら、リスナーからの口腔ケアに関する質問にも誠実に向き合うのが印象的だ。しかも、手元に台本などは一切ない。「喋り始めるキューのサインが出てから、内容を考えている」と、五島さんはにこやかに答えるが、ラジオは15年以上続く長寿番組。「島根や鳥取だと1日2回も放送されているせいか、地元のタクシーに乗ると運転手から『五島先生ですか!』と驚かれるほど。地方だと、ちょっと有名人かな?」
もちろん、五島さんの本業は歯科医だ。2003年に開設された「ふれあい歯科ごとう」の合言葉は、「健康な方が来院できる、障がいがあっても来院できる、たとえ来院できなくとも訪問できる」。北新宿にあるクリニックで、午前中は同じ歯科医の奥様と一緒に夫婦で診察。午後の時間帯を訪問診療に当てる。リュックを背負って颯爽と自転車のペダルをこぎ、一軒ずつ患者の家を訪問する姿は、さながら鍛えられたアスリートのようだ。
アタリメでリハビリ。生活に落としこむことで成果
訪問歯科医の仕事は、主に通院が困難な高齢者に対して、入れ歯の調整や虫歯の治療をするほか、摂食嚥下障害のある人には口腔機能のリハビリや食事指導も行っている。特に注目すべきは、五島流とも言える咀嚼訓練だ。
「一人暮らしの高齢者の家を訪問して、リハビリのための紙を貼って『時間のある時に舌を動かして』と言っても、やるわけがない。そんな時は、アタリメですよ。舌も動くし唾液も出るから、ちょうどいい。『晩酌しながら、これで舌を左右に動かして』だと、やるんだよね」。生活に無理なく取り入れられるこうした訓練は、患者はもちろん在宅医療・介護の専門職からの評価も高い。
今でこそ、訪問歯科医としてさまざまな患者に対応する五島さんだが、順風満帆でスタートを切ったわけではない。1997年に訪問歯科に取り組みはじめた当時は、介護保険が始まる前。歯科医が往診をすることが珍しかった時代だ。ある内科医から『入れ歯を見て欲しい』という依頼で高齢者の自宅を訪問すると、ほとんどの高齢者が入れ歯を使っていない。
しかもようやく入れ歯を作っても、うまく食べられない高齢者がいることに、まず驚いたという。 「入れ歯があわない原因は、病院です。入れ歯を外して入院中にチューブで栄養を摂っていると、飲み込む力がだんだん弱くなり、そのうち歯茎もやせてくるので、入れ歯が合わなくなる。しかも退院しても入れ歯があわずに食べられないから、体力も回復しない。入れ歯だけの問題じゃないんですよ」。五島さんの学生時代、高齢者の摂食嚥下について詳しく学ぶ機会はほぼ皆無だったという。また当時の学会に参加しても、在宅の現場で役立つ内容とは程遠いものばかり。試行錯誤を繰り返し、アタリメを使うような、生活に落とし込んだ訓練にたどり着くまでに5年もの歳月がかかった。
「僕たちのような歯科医が一軒ずつ家を訪問するのは、効率が悪いかもしれません。でも家に行くと、その人の生活や食べているものがわかります。しかも高齢者の場合、食事を開始するタイミングが少しでも遅れると、思うような成果が出ません。本人に食べたい意欲や体力があって、家族の応援もあると、すぐに食事のゴーサインが出せる。だから、僕は訪問にこだわるんです」
最期まで食べられる街を 目指して、専門家が連携
きらびやかな高層ビルが立ち並ぶ大都会の新宿だが、意外なことに歌舞伎町で働く若者から高齢者まで、老いも若きも独居が多い街だという。しかも新宿区内に暮らす約6万人の高齢者のうち、1〜2万人が低栄養に陥っている可能性があり、何らかの食支援が必要だと五島さんは推測する。「たった1人の高齢者を救うためのチーム医療も、確かに大事です。でも2万人救うために、何をどうしたらいいのか。街全体でどうする、という発想がないと」。たどり着いた答えが、連携だった。
まだ多職種連携という言葉すらなかった2009年に、五島さんは「最期まで食べられる街、新宿」を目指して、新宿食支援研究会(以下、新食研)を立ち上げた。五島さんのような歯科医のほかに、医師、看護師、歯科衛生士、管理栄養士、理学療法士、作業療法士、言語聴覚士、ホームヘルパー、ケアマネジャー、さらには福祉用具の社員や介護食品を扱う事業者の職員まで。現在は、25種類の仕事に就く総勢150人が在籍。高齢者の食を支えながら、生活全体も支える活動を行っている。「ヘルパーでも家族でもいいから、まず食に問題がある高齢者を誰かが見つけ、それをケアマネジャーや主治医に伝える。『見つける→つなぐ→結果を出す→それを広める』という流れを作りたい」と、五島さんは言う。
新食研に参加するメンバーたちは、それぞれが20ほどのワーキンググループにわかれ、独自に活動を行っている。しかも、各グループのネーミングも活動内容もユニークなものばかりだ。
例えば、女性ばかりの訪問言語聴覚士が集う「聖闘士ターン!」。言語聴覚士(speech therapist)の略称であるSTと聖闘士、そして舌(tongue)を組み合わせた。
参加者の一人である佐藤亜沙美さんも、「フォーラムでグループ発表をする時には、戦隊モノのヒーローのようなカラフルな旗もつくりました」と楽しそうに話す。「コラボレーションクリエイト」は、町内会やケアカフェなど、地域で活躍する団体と親交を深めながら連携。昨年は、区内小学校で講演も行った。
さらに、食に困った人を「見つける」活動を一般の人にも広げるために、新食研独自の講座を受講した人を「食支援サポーター」として認定。地域で食に困った人を見つけたら適切な人につなぐ役割を果たすほか、介護事業所などから依頼された時には、講師として話せるよう、地域の中で人材の育成も行っている。
「本当に食べることが難しい人は、プロの集団に任せればいい。そうなる前が大切です。誰かが見つけて、その人が食べられるようになったら、僕たちのようなプロが入らなくていい。いかにプロが手をかけずに、結果を出すのか。街の仕組みとして高齢者の食を考えるのも、作戦の一つです」(五島さん)
「聖地」となるまで フォーラム続けたい
そんな新食研が開催するタベマチフォーラムが、今年9月に開催される。「最期まで口から食べられる日本へ」をテーマにしたイベントは、昨年からスタート。今年は、街ぐるみで健康づくりを考え全国から注目を浴びる福井県高浜町の取り組みや、秋田県の食支援を紹介。また身近な人が口から食べられなくなった時にどう向き合うかを、会場全体で考える場にする予定だ。
野球少年にとって甲子園が聖地であるように、タベマチフォーラムも食支援に関わる人にとって、いつか聖地と呼ばれる存在になりたいと五島さんは言う。「そのためにも、もっといろんな人を巻き込まないとね。全部、作戦ですよ」
ほとばしる情熱と、目標を定めたら突き進む力、そして状況を冷静に見極めながら、少年のような笑顔で周りを巻き込む行動力。現場の最前線を今日も自転車でひた走る一人の訪問歯科医は、さまざまな職種といっしょに地域をデザインする戦略家にも見えた。
取材協力/
ふれあい歯科ごとう
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五島 朋幸氏
ごとう ともゆき
1965年広島県生まれ。日本歯科大学卒業。歯科医師、ふれあい歯科ごとう代表。新宿食支援研究会代表。ラジオ番組のパーソナリティとして「ドクターごとうの熱血訪問クリニック」(全国15局)「ドクターごとうの食べるラボ」(FM調布)も担当。著書に「訪問歯科ドクターごとう1:歯医者が家にやって来る!?」「愛は自転車に乗って」などがある。