働く介護者 本音トーク

どうする? 仕事と介護の両立

  • No.9
10月10日、杉並区の「ケアラーズカフェin 都会(まち)の実家」で、3人の介護経験者に話を聞くための座談会が開催された。終始なごやかな雰囲気の中、家族介護の当事者によってリアルな経験が語られた。介護に悩んでいる人にはもちろん、いつ親の介護が始まってもおかしくない世代の全ての人に伝えたい。

介護の始まりで生活が一変

牧野 テーマは「仕事と介護の両立」。どうしたら介護をしながら仕事を継続できるのか。介護を経験されてきた皆さんにお聞きします。カフェでおしゃべりしているつもりでお話ししましょう。まずは自己紹介を兼ねて。

岩下 私は建設会社に勤めて24年目になります。10年前に父が散歩中に倒れました。小脳出血ですね。それで、まず父の介護が始まりました。私は一人っ子でシングルなんですけれど、本当に大事に育てられてきたんです。それがある日突然、生活が一変してしまいました。 その頃から母に認知症の症状が出始めて、両親のダブル介護の生活になったんです。父は1年4カ月の闘病後、他界しましたが、母の介護は10年目になりました。仕事は辞めずに続けることができましたが、はじめは本当に苦悩して、何から始めればいいのかわからず、「まさか私に」と思いました。 母は2015年にグループホームに入所することができましたので、今は介護のセカンドステージだと思っています。私の経験が誰 かの役に立てばいいなって。

辻本 私は今年で30歳になりました。1年前に祖父が亡くなるまでの10年間、在宅で母と一緒に介護していました。私の家は自営業で近くに親戚も多く、頭数だけはそろっているのですが、家の中をみる人、指揮をとる人、またお金の問題など、全く連携が取れないまま10年も過ごしてしまって。

牧野 あなたのお仕事は?

辻本 私は学生の時からずっと自営業の手伝いをしています。母も自営の仕事と祖父の介護もあって大変でした。今から思うと、母も気持ちのゆとりがなく、もっと誰 かに頼って、外に出ていけばよかったんだろうなと。だから最近やっと私も私の人生を持たなければいけないなと思うようになりました。

牧野 それでは、うまく情報収集をされてきた佐藤さん。

佐藤 2011年から母を介護していました。過去形になってしまいました。アルツハイマー型の認知症という診断を受けて、在宅で4年ちょっと、その後グループホームに入って2年、半年病院に入院して今年の5月に他界しました。83歳でした。現在は父と私の2人で暮らしています。私は働いていて、父が日中母をみるという形で介護が始まりました。

父は性格的に放っておくタイプなので、母が徘徊するようになった時には、これはまずいなと思い、会社の介護休業制度を利用して2015年の10月から1年間お休みをいただきました。 会社を休む前にも情報を集めないといけないと感じていましたので、「ケアフェス」というのをインターネットで見つけて参加し、ブースに立ち寄ってチラシを集めたり、シングルで介護する方の体験談を聴いたりしました。

牧野 その後、ケアラーズカフェにこられたんですよね。

佐藤 まずそこに行ってみようと思って、休みの初日に行きました。

一同 すばらしいですね。

佐藤 親の介護をしている親戚からも「それなりに覚悟しておいた方がいいよ」と言われていましたので、介護関連の本で知識を得たりして、地域包括支援センターがあるということは知っていました。  デイサービスなどもいろいろ見学して試してはみたのですがうまくいかず、無理をして行かせることもないかなと思っていたところ、休職する頃に家の近くにある認知症専門のデイサービスに通えるようになったんですね。

和氣 その後のグループホームはどうやって見つけたんですか。

佐藤 住まいの近くの特養とグループホームを全部見学しました。その中で優先順位をつけて申請を出すのですが、なかなか入れてもらえなくて。でも、たまたま見つけることができました。

和氣 みんなたまたまって言うけれど、頑張ったからなんですよ。

介護の経験はプラスになる

牧野 みなさん、職場ではどのように対処されたのですか。

岩下 父が倒れた翌年に合併があって会社の統合が行われたんです。当時私は事務職だったのですが、どうしても人員が余ってしまうんですよ。

和氣 どのくらい会社には言わなかったの?

岩下 6年半です。

和氣 隠し通したんだ。

岩下 そうです。仕事を外されてしまうのが怖かったんです。父が倒れて、母も認知症で、でも頑なに言わなかったですね。あえて普通を装っていました。やはり会社が居場所だったんです。仕事をしていることで社会と繋がっていられると思っていたから、これで仕事がなくなったらと思うとすごく怖くて、残業も平気ですなんて言ってかえって仕事にのめり込んでいました。するとある時上司に「たまにはお母さんとメシ食えよ」と言われて、結局私は認知症の母と向き合うのが嫌で、仕事に逃げてるんだとわかりました。それからだんだん母のことも受け入れられるようになって、介護していることを会社に言ってみようとなったんです。すると近所の人にグループホームができるよって教えてもらって母も入所することになったり、次は会社から営業職にどうかという話をもらい、辞める選択肢はなかったので引き受けたりと、少しずつ状況が変わってきたんですね。自分自身が受け入れられなければ会社にも言えないし、本当に個人の問題だったんです。

佐藤 私も1年間休職していた時に、仕事していた方が楽だなって思いましたね。

牧野 外で働く人は会社に行くことで切り替えできるけれど、自営業の場合はどうやって切り替えたらいいのか、辻本さんの経験ではいかがですか。

辻本 「問題を分ける」「分散させる」ということが大事なんだとやっと理解できました。介護の知識を得て、利用できるものをちゃんとチョイスして利用していくことで、ストレスを溜めないようにできることがわかりました。

和氣 物理的にも離れることは重要ですね。

辻本 それが最初はわからなくて、訪問看護師から「距離をとってみたらどうですか」って言われましたけれど、ショートステイを上手く使いこなせなかったんです。

和氣 最初からサクサク使えない ですよね。ただ、情報として知っ ていることは大事だと思います。

岩下 そういうこともこれから介護に直面する人に伝えていきたいですね。

牧野 佐藤さんは会社に激励会をしてもらったそうですね。

佐藤 休職に入る時に会社が送別会をやってくれました。

一同 すごいですね。

佐藤 やはり大変だなと思われていたようで、「無理しないで頑張ってください」と言われましたね。 またケアラーズカフェに通い始めた理由ですが、私は幸い会社を休めましたが、会社に介護休業制度がないという人も多いですから、自分の経験がこういうカフェを通じて役に立てばなと。 職場復帰した時も、以前の同僚から「自分の父も認知症だから、いろいろ教えてほしい」と言われまして。

和氣 それが一番いい形ではないですか。

岩下 私の職場でのことですが、席を立って何回も携帯電話に出ている人がいて、「その日は行けないんだ。姉さんに頼んだから」という話が聞こえてきたんですね。 私も介護を経験しているからピンときて、「お父様かお母様が大変なんですか」と聞いてみたところ、「親父が倒れちゃってね」と話してくれました。状況を聞いて、これは「地域包括支援センターだ」と思って説明すると、その方は知らなかったんですね。「うちの区にもあるのかな」と言うので、「中学校区と同じくらいのエリアに1つあるんですよ」って、早速アドバイスして調べてあげました。私もいいことしたなって嬉しかった。(笑)

和氣 自分の経験が役に立つ瞬間、無駄じゃなかったって思えますよね。

牧野 あっという間に時間が来てしまいましたたね。最後に、介護に悩んでいる人、これから直面するかもしれない人に向けてメッセージをお願いします。

佐藤 24時間介護一辺倒になってしまうとストレスが溜まります。将来の生活もありますから仕事は続けた方がいいですね。そのためには、介護をしながら働く環境、周りの人の理解、協力者が必要です。そして支援してくれるネットワークや情報。先手必勝ではないですが、準備や心構えをしておくことが大事ですね。

岩下 自分の居場所を見つけることが大事だと思います。私の場合は会社ですが、介護を経験したからこそ仕事に活かせることが必ずあります。時間をやりくりしたり人に頼ったりする術を身に付けられたと思います。介護する前の私よりも人間的に豊かになったような。(笑)これは両親からもらった贈り物だと思っているんですよね。介護は決してマイナスばかりじゃない。プラスの面もある。会社にとってもプラスだと思います。

辻本 母も私も100%を求めすぎていて、「いい老後を過ごさせてあげたい。いい死を迎えてほしい」、その思いが強すぎたんですね。それが和氣さんとお会いして、「6割でいいんだ」と。心のゆとり、生活のゆとり、隙間がないとうまくいかないんだなということですね。 友人の誘いを断ることはリスクがありますよね。でも、私の場合は、中学の時からの友人が多くて、みんな祖父のことを知っていたので、その点は理解してもらえました。ただし母をもっと外に出られるようにしてあげたかったなと思います。外に関わりを持つことが大切だって実感しています。

発信することで社会を変える

牧野 日頃、介護者支援の取り組みをしている和氣さん、お願いします。

和氣 私はまず「介護になったら地域包括支援センター」ということを覚えてもらっています。それは、病気になったら病院に行くということと同じくらいの常識です。介護保険が一般常識化されていないことが大きな問題なんです。だから、知っている人がそれを発信していってほしいのです。今は企業もいろいろ努力をしていますけれど、結局困るのは個人なんです。介護離職について言えば、国ができること、地域ができること、企業ができること、個人ができること、介護業界ができること、全部違います。だから各々がやるべきことをやらなければいけない。その中でも、介護経験者はその経験を誰かに発信することで、社会を変えることができます。ぜひ一緒に発信しましょう。

牧野 これからも、皆さんには大いに発信していっていただきたいですね。